【活動報告(メディア)】 『週間ダイヤモンド』7月1日号に記事が掲載されました

特集 「ローン地獄とサラ金の窮地クレーゾーン廃止で一致上限金利引下げが大勢」

小委員会では合計8回にわたり、関係者からヒアリングを行ってきた。今後は7月上旬までに4回の話し合いを経て、論点整理を行う。

現在のところ、クレーゾーンについては、廃止することでほぼ一致している。上限金利については、29.2%という出資法の上限金利を引き下げるべきとの意見が大勢だ。とはいえ、一挙に金利を引き下げると信用収縮が起きる可能性はある。経過的な措置が必要となるだろう。

過剰融資を防ぐための総量規制については、一定の基準が必要だ。信用情報センターの統合が実現しなくても、過剰融資の基準を設けることは可能なはずだ。

参入規制については、登録要件を厳しくすべきとの意見が大半だった。具体的には、登録時に貸金業務取扱主任者をおくことや、財産的基礎(純資産額)基準の引き上げだ。現在は法人で500万円、個人で300万円だが、あまりに低すぎる。

また、全国貸金業協会連合会(前金連)の機能を強化し、自主規制機関としての役割を果たすことが必要との意見も多い。現在は各都道府県の貸金業協会による連合会といった組織だが、一つの組織とすべきだろう。登録業者のうち協会加入は46%の約7300社にすぎないが、協会への強制加入を検討したい。

借り手へのカウンセリングも重要だ。自己破産などの手続きを支援するセンターを拡充するべきだろう。テレビ広告などには必ず、そうした支援センターの連絡先などを入れさせるべきとの意見が大半だった。

一部の議員から電話で上限金利等の話をされることもあるが、「少委員会で発言してください」と、お断りしている。業界の利益を代弁する意見に耳を傾けることなく、公正に議論していく。

(週刊ダイヤモンドより要約)

【活動報告(メディア)】 『週刊エコノミスト』(2006年6月13日号)に記事が掲載されました

「激震!消費者金融多重債務者を減らす業界全体の自主規制が必要」

:自民党はどんなスタンスで議論するのか?
:金融庁の貸金業制度等に関する懇談会において、貸金業者は正式な委員でなく、オブザーバーだったが、自民党としてはもっとフェアーに利害関係者の意見を聞こうと考えている。
すでに日弁連や貸金業界などの関係者、金融庁や警察庁からヒアリングを行った。
貸金業規正法など改正法案を秋の臨時国会に提出する予定だ。小委員会を立ち上げたからには、踏み込める範囲で制度改正を行う。

Q:今後の議論のポイントは?
:貸金業界で、コーポレートガバナンスが機能しているかどうかに着目したい。
アイフルのような大手で違法行為が起きる一方で、中小規模の貸金業者でもきちんと営業しているところがある。
消費者金融の市場規模は貸付残高で約12兆円。警察が検挙したヤミ金融事件における被害総額は、2004年で約350億円。12兆円市場規模に比べると0.3%の世界とも言える。一部を持って全部を否定するわけには行かないし、その逆もしかり。しっかりと実情を見極めたい。
また、貸金業界の自主的な規制もポイントとなる。例えば、消費者金融大手は他の消費者金融3社以上から借りている人には、融資しないという自主規制を行っているが、ヤミ金融被害に遭い、国民生活センターや弁護士のもとに駆け込んでくる人のデータを見ると借入件数が8社などになっている。多重債務者を減らすとなれば、大手だけでなく消費者金融全体で、例えば4社以上借りている人にはそれ以上貸さないといった自主規制も出来る。

Q:現在の29.2%という出資法の上限金利についてどう考えるか?
:委員長としての立場上、コメントを差し控えたいが、委員の意見を聞くと、高いと言う声もある。00年に出資法上限金利は40.004%から29.2%に引き下げられたが、ヤミ金融問題も含めて、引き下げの影響を客観的なデータに基づいて検証しなければならない。一方、グレーゾーンについては最高裁が否定する判決を出しており、貸金業者側もそのような不安定な制度のうえで営業するということについて、制度の是正を求めている。基本的には廃止の方向をなるだろう。

(『週刊エコノミスト』より要約)

【活動報告】 永岡議員への追悼演説(2005年10月6日)

 ただいま議長から御報告のありましたとおり、本院議員永岡洋治君は、去る八月一日逝去されました。思いもよらぬ突然の訃報に言葉もなく、ただただ今もって信じがたい思いであります。誠に痛惜の念にたえません。私は、ここに、皆様の御同意を得て、議員一同を代表し、謹んで哀悼の言葉を申し述べたいと存じます。

 永岡君は、昭和二十五年十二月二十四日、茨城県古河市においてお生まれになりました。
少年期を故郷の古河で過ごされた君は、六歳の頃から剣舞を習い始め、剣舞を通じて、日本人ことに今日の日本を形づくった歴史上の人物の、精神を学ばれたと聞いております。日本人としての誇りを持ち、人として世に貢献しなければならないという君の一貫した姿勢は、幼少の折からこうして培われていったものでありましょう。

 その後、地元の中学校から埼玉県立春日部高等学校を経て、東京大学法学部に進まれました。在学中、当時議論されていた世界的食糧不足問題に強い関心を持ち、日本全体の国土、人間、社会を幅広く扱う行政に携わりたいという思いを抱くに至り、昭和五十年、大学卒業と同時に農林水産省に入省されました。そして、在職中、米国のハーバード大学大学院に留学、昭和五十七年、修士課程を修了し帰国されました。同じ時期に留学していた同僚議員によりますと、当時より、信念を持った相当の論客であったとのことであります。

 農林水産省では、経済局国際部国際経済課ガット室長、畜産局牛乳乳製品課長等を歴任されました。その間、大臣官房上席企画官在職時には、新農業基本法のベースとなる「新しい食料・農業・農村政策の方向」を取りまとめられ、また、ガット・ウルグアイ・ラウンド交渉の妥結に至る最後の一年間を、ガット室長として、その取りまとめに尽力されたのであります。

 申し上げるまでもなく、このガット・ウルグアイ・ラウンド交渉に際しては、貿易立国を国の基本政策とし、多国間における貿易自由化を主張していた我が国にとって、自らのコメ市場開放を中心とした農業分野における農産物交渉の妥結が、そのカギを握ると言われておりました。君は、そうした困難な状況のなか、アメリカ、EC等の代表者と、直に、厳しくも真摯な交渉を続けられ、その卓越した能力を存分に発揮、見事にガット・ウルグアイ・ラウンド交渉を成功に導いたのであります。

 一方、そうした交渉を通じ、従前の縦割り行政の下、政治不在のまま国益調整なき交渉が行われている実態を目の当たりにし、国益を踏まえた政治の必要性を痛感、自ら政治の道を志すことを決意され、平成七年、農林水産省を退官されたのであります。 同じ時期に、私も経済、社会の変化に対応できない政治や行政に危機感を持ち、政治のリーダーシップ、責任を取る政治を求めて、大蔵省を退官いたしました。

 君は、郷里茨城県に帰り、翌年の第四十一回衆議院総選挙に勇躍立候補されましたが、その選挙区は、党の調整で、出身地ではなく、いわゆる落下傘候補でありました。地盤もなく、知名度も低く、しかも逆風の中で、善戦むなしく惜敗に終わったのであります。 しかし、日本が大変革の時を迎えているという認識から、日本の将来を思い、その後も地道な活動を続けられました。

 そうした中で、平成八年に、君の発意により、政治に対する志を同じくする、我々選挙に落選した者九名が相集い、政策グループ「ミッション日本」を結成、行政や経済界で培った知識と経験を基に、お互いに切磋琢磨し、日本の指針たりうる新しいビジョンを作り上げていく決意をいたしました。君は、そのグループの幹事として会を取りまとめ、機関紙も発行しました。そして合宿をかさね、経済、社会の変化に対応した、国民の常識が生かされる政治の実現をめざし、共に熱い議論をたたかわせてきたことが、昨日のように思い出されます。

 五年前の第四十二回衆議院総選挙において、我々「ミッション日本」のメンバーは、選挙区を出身地に変えた君を除き当選を果たしました。しかし、それに気落ちすることなくさらなる精進を重ねる君の姿を見たとき、その信念の強さに、「初心忘るべからず」と我々自身を戒めたほどであります。

 平成十五年、第四十二回総選挙の補欠選挙において、三度目の挑戦にしてついに見事初当選の栄冠をかち取り、八年に及ぶ浪人生活に終止符を打ったのであります。

 君は、衆議院議員として在職すること二年五ヶ月と、極めて短い期間でありましたが、農林水産委員会、財務金融委員会、憲法調査会等に所属し、熱心に国政の審議に当たられ、そのまじめな態度とすぐれた識見は、党派を超えて同僚議員から厚い信望を集めていたのであります。

 特に農林水産委員会においては、これからの日本の農業・農政について、数多くの真摯な提言をされました。とりわけ、食料自給率の問題については、何度も取り上げられ、国の安全保障、国家の生存権の問題としてとらえるべきであるとし、WTO交渉、FTA交渉においては、そのことを我が国の基本的な交渉の理念、哲学とすべきことを訴えられました。

 昨年三月には、この壇上において、与党を代表して、道路関係四公団民営化法案の趣旨説明に対する質疑をされましたが、その内容は、法案の意議、本質をわかりやすく明快に論じ、国民が納得のいく真の改革たるべしという使命感に溢れたものであり、深く印象に残っております。 また、自由民主党におきましては、経済産業部会副部会長、国土交通部会副部会長等の要職を歴任され、党の政策立案に寄与されました。

 さらに、昨年一月からの鳥インフルエンザの発生に際しては、養鶏農家の経営の問題のみならず、安全な鶏卵や鶏肉の流通の確保への取組みのため、自民党養鶏振興議員連盟の設立に参画、事務局長として活躍されました。特に今年六月末に地元で発生が確認された際には、自ら現地に赴き発生養鶏場を視察されるなど、その感染経路の究明、有効な手法の確立のため、精力的に活動されたのであります。

 現在最大の課題となっております郵政民営化法案では、より明確な修正を求めていましたが、党の最高の意思決定機関である総務会の多数決で決まった以上、それに従うのが二大政党政治、民主主義の原則であると、君らしい明快な判断を示されました。

 君は、元来の専門分野であった農政に加え、経済財政、教育、環境、少子化問題といった、幅広い分野についての深い識見の上に立ったグローバルな発想力をもち、まさに、これからの日本を背負って立つべき人材でした。また、政治家として、なによりも立派だと敬服しておりましたのは、「政治と家庭を直結」すること、「政治不信、政治への無関心を取り除き、信頼できる政治を確立」することを基本姿勢に掲げ、政治課題について分かりやすく説明することが政治家の責任とし、これを真摯に実践しておられたことであります。

 よわい五十四歳、君は、いよいよ政治家として今後の大成を期待されながら、志半ばにして忽然と去っていかれました。まことに痛恨やる方ないものを覚えるのであります。今日、内外の情勢を思うとき、君のような前途有為の政治家を失いましたことは、本院にとっても、国家国民にとっても、まことに大きな損失であり、惜しみても、なお余りあるものがあります。

 我々「ミッション日本」のメンバーは、この度の第四十四回衆議院総選挙において、党派の違いこそあれ、また全員の当選を果たすことができました。君が存命ならば、再びそれぞれの政治に対する志のもと、日本のあるべき将来について、ともに論ずることができたであろうと思うと、残念でならないのであります。しかし、君の志は、我々のみならず、準備期間が極めて短いなか、今回の総選挙で見事当選された桂子夫人によって立派に受け継がれることと思います。友よ、どうか、安らかにお休みください。

 ここに謹んで永岡洋治君の生前の御功績をたたえ、その人となりをしのび、心から御冥福をお祈りして、追悼の言葉といたします。

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